■遙かネパールの薪背負えず (ネパール編:2004年 6月2日〜6月30日)

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逢えた、話せた9人のメンバー達

1)祈祷師とサイリー
サイリー 24歳 女性
12歳の時、友人のノートを破った為暴力を受けた。
その頃より、言動が変化する。
入院歴もあり、2年前より、当デイケアに通う。

サイリーの自宅は、パシュパテェナートの裏、デイケアから歩いて15分。
古い建物だ。1階には両親の寝室とトイレ。
2階に彼女と妹のベッド、そしてキッチンが続いてある。
床は赤土の土間であるが、キッチンはコンクリートで食器、みずがめ、釜土が並ぶ。
サイリーが突然、缶の蓋を開ける。
「ここにアウサデイ(薬)が入っている。今から飲む」と、写真撮影に協力してくれる。

父は高齢で仕事はリタイアしている。
母が病院で掃除をして収入を得ている。
妹のサルサテイが紅茶を持って来てくれる。
サイリーはビスケットを買いに走る。

サルサテイに聞く。
「姉さんは家でどんな事している?」
「食事は作れないが食器は洗う。洗濯は出来ないが干す事はできる。
1階から2階のキッチンに水を運ぶ。少し手伝えばシャワーも出来る。」と淡々と話す。
これらの話しを部屋の片隅でニコニコして聞いている老婦人がいた。
聞くと、祈祷師で、サイリーの精神の病いを追い払う為に母親が連れて来たのだと。

村々にはこのような祈祷師が沢山いると聞いてはいたが、カトマンドゥで、
しかもデイケアに通わせている家族がこのような信念を持っているとは・・・・・・
ネパールの精神疾患に対する根っこの深さを今さらのように思う。

祈祷が始まった。同行したデイケアのスタッフと見守る。
コップの水を草の葉に付け、サイリーの頭の上で払う。
次に、プレートの中にある10数個の米粒を2個ずつ分けて、
なにやらぶつぶつお経のようなものが始まった。
少しずつエスカレートして、声が大きくなる。
神と対話しているのか・・・・・まるで精神疾患の症状のひとつである独語だ。

そして、サイリーの身体のあちこちに触れてお経を唱え、
線香の火をかざす動作が続き30分の祈祷が終わった。
母親がお金を払おうとすると、「要らない」と言う。
その代わりに今後の祈祷の為に部屋をひとつ用意するよう言っていたらしい。
帰り際、同行したスタッフはサイリーの妹に
「そんなことは決してしてはならない」と言い置いたと。

次の日、デイケアでサイリーに「具合はどう?」と聞くと「すっかり良くなった」と。
この日、サイリーは今までに無く、メンバーの食器をひとりで洗い終えた。
「ラコウ、マガルツー(置いといたら良いよ。私がやる)」と。
今までには無い行動らしい。祈祷の効果か。困った事だ。
でも大丈夫。その次の日、サイリーは自分の食器だけ洗っていた。
愛すべきサイリー。
最後に彼女が私宛に書いた手紙を紹介しょう。

 「2061年2月29日(ネパール歴)
 私はサイリー ラクチミ ラマです。父はビンバー ドル、
 母はナン チヤ、妹はサルサテイです。
 私達家族は心からのりこディディ(姉さん)にありがとうを言います。
 貴女は遠い日本から私達を思って、私の小さな家に来てくれた。
 そして、私達に親切をくれた。
 チョコレートなども。私達はとてもうれしかった。
 又、私の家に今度は泊まりに来て下さい。
 ディディ、いつまでも元気でいて下さい。」
                         サイリーより

2)クリシュナの微笑み
私がみた当デイケアでは最高齢の60歳。
他の女性は皆パンジャブドレスだが、彼女だけは何時もサリーを着ている。
文字が書けない、字も読めない彼女は、何をする時も傍で微笑んでいるだけだ。
でも、毎日通って来ている。

某日、パシュパテナートに皆で散歩に行った時、突然集団から彼女が消えた。
見ると、向こうの草むらでサリーのまましゃがんでいる。
スタッフに聞くと、用をたしているとのこと。便利な服だ。
しかし、中はおしっこでびしょびしょではないかと余計な心配をしてしまう。

雨がそぼ降る日、スタッフと彼女の自宅を訪問する。
こちらも古い3階建ての家。2階の居間に通される。
古びてはいるが、ソファーがあり、飾り戸棚には人形、TVもある。
クリシュナには2男3女がいる。
長男は他に所帯を持っており、次男夫婦や3人の娘と暮らしている。
次男の仕事は肉屋。自宅のすぐ近くにある。
3〜4uの小さなお店。ハエの襲来を防ぐため肉の塊には布がかけてある。
客の注文により、骨でも何でも大きなナタで切り、量り売りをする。

彼は仕事に出ていき、三女に話しを聞く。
「お母さんは家ではどう?」 に 「食事を作ったりしないが、自分で食べる。
シャワーも自分でできる。病気になってから、父さんは寝室を別にした。」と。
話している間に、紅茶とケーキが運ばれてきた。
なぜか、ケーキの横に目玉焼きが付いている。
持て成しなのであろう。おいしく頂く。

話しを終えて、階下に降りる。来た時は閉まっていたが、ドアが一つ開いている。
入ると、クリシュナの長女と次女が何もないガランとした部屋で座っている。
部屋着のまま。聞くと二人とも生理中とのこと。
ネパールではカーストにより、生理中の女性は、男性に触れることは疎か、
居間に座る事は許されない、食事も作ってはいけないそうだ。
生理の4日間は運ばれてくるご飯を食べて、
この部屋で時間の過ぎるのを待つのだそうだ。

「えっ?仕事を持っていたらどうする?家に女性がひとりならどうする?」
喉から出そうになった質問を私は再び飲み込んだ。
女性の生理に対する見方がこの有様。
精神疾患が神の仕業によるものと考えられても仕方がない。
もっとひどい事は、HIVに罹患したら処女と性交すると治ると信じている人もいると聞く。
この男性中心の社会で60年間も生き抜いてきたクリシュナ。
私にはこの微笑みをクリシュナの年になっても浮かべる事はできないだろう。

3)深い苦しみを背負うマタディ
毎日通ったデイケアで一度だけ彼女を見た。
30歳、なにも言わず静かに座っている。
昼食も「今日は要らない」と食べなかった。

某日、マタディ宅をスタッフと訪問する。こちらも古い三階建ての家屋。
2階の母親の部屋に通される。TVではインドのドラマが始まっている。
母親に話しをきく、「マタディは家ではどうしている?」に
「食事は作るし、掃除もする。家事は何でもできる。
5年前に結婚した。

その後病気になって、精神薬を飲んでいるのを、娘の夫が見て、小さな子供と娘を捨てて出ていった。
病気の具合の悪い時は、この子(孫)を叩いたりするので、 母親になつかない。
孫の面倒は私がみている。夜も一緒に寝ている。
それから私の息子(マタディの弟)も同じ精神薬を飲んでいる。
二人は顔を合わせるとケンカをする。
だから、決して一緒に食事をしない。」と母親は暗い表情で話す。

帰り際、マタディの父親が営む薬草店に立ち寄る。
ガランとした部屋に数10本の薬草の入った瓶が並んでいる。客はいない。
マタディの弟が、マタディよりも硬い表情をして父親の横に座っている。
案内をしてくれた母親が話しを続ける。
「娘も息子もこんな病気になってしまって、仕事をしない。
孫もこれから学校に行くとお金がかかる。
私達夫婦はこれから年をとるばかりで先は不安でいっぱいだ。」と

4)「きょうはデイケア開いてるよ!デブー」
デブー 30歳 男性

ある日、ベランダで皆と紅茶を飲んでいると、ゲートの向こうをデブーがスタスタと通り過ぎる。
スタッフが慌てて後を追いかける。
「デブー、きょうはデイケア開いてるよ。おいで。」と。
「そうか」とデブーがやって来る。
彼は、デイケアと自宅を自由に往復するが、時空の感覚が不明瞭だそうだ。
休日、家人が「きょうはデイケア休みだから行くな」と言っても、やって来て、
ドアが閉まっているのを確かめて帰るそうだ。

会話は言葉のサラダだ。
「お父さんは?」「ひとりいる」 
「お母さんは?」「ひとりいる」
「きょうは何日?」 「13日(全然ちがう)」
「王様の名前は?」「知らん」

皆で床の掃除をした後、スタッフの止めるのも聞かず、
ホースから出る水をゴクゴク飲むのも彼だけであった。
何時も古くて、汚れた服を着ている。
ある日、新しいシャツを着ているが、所々が綻びている。
「デブー、ポケット作ったの?」と聞くと、傍で「新しい服を着ると、
必ず手で引き裂いてボロボロにしてしまう。
きょうはまだ原型を留めているから良いよ」とスタッフの困った顔。

5)遅刻ばかりのコイララ
コイララ 55歳 男性

「私と同じ年よ。握手して!」と喜ぶ私にソッポを向く。
それでもしつこく求めると仕方なくしてくれる。
毎日のプログラムには必ず遅れてやって来る。
「どうしておくれたの?」に
「おじさんの法事だった」「新聞を読んでいた」と最もらしい理由が並ぶ。
デイケア花曜日のメンバーに手紙をかいてくれた。
その文面を紹介しょう。

 「プスパという人が言っています。
 この世の中には、優しい心と広い考えをもった人が沢山いる。
 私コイララが精神病であると言うことは間違いです。私は大丈夫です。
 人の事を精神病だという人は、たぶん精神病者よりもレベルの低い人だと思う。
 これがネパールからのメッセージです」

6)マナランはお父さん
マナラン 41歳 男性

とても積極的な人で、私のメモ帳に最初に名前を書いてくれたのも彼だった。
そして、良くしゃべりかけてくる。
「夕べ、息子にやられた」「どうして?」
「しゃべり過ぎたからだろう」「どうやって?」
「両手を縛られた」「大変だ」
スタッフに報告しようとすると、「言うな」と目配せをする。

後日、マナランの息子が専門学校の帰りにデイケアに立ち寄った。
「お父さん、お家ではどう?」に
「以前はよくしゃべって、夜も眠らないので困ったが、今は落ち着いている」と答えた。
「夕べ、息子にやられた」と言った時の表情には、
病気の辛さとそれに耐える切なさがにじんでいた。

7)ネパ−ル語で話そうヨ、ナラヤン
ナラヤン 37歳 男性

病歴は長いが、 最近まで旅行会社に勤めていたと。
家には妻と15歳と10歳の息子がいる。
話しをする時、ネパール語でゆっくり話して欲しいと依頼しても、
必ず早口の英語で話しかけて来る。
スタッフに英語をネパール語に訳してもらった。

「私は貴女に逢えてうれしい。あなた方には感謝の思いでいっぱいだ。
貴女が持って来た、日本のデイケアからというメンバーの手紙を読んだ。
そして、ペンフレンドになるべく手紙も書いた。
必ず彼に渡して、返事をくれるように頼んで欲しい。私は仕事をしたくても仕事が無い。
日本やアメリカは我々が仕事の出来るよう援助して欲しい。」
ネパール語を話さないのは仕事につけない焦燥感なのか。さだかでは無い。

8)居場所を得たプロビーン
プロビーン 17歳 男性 ハイスクール在学中に発症

「ヤハン カストウチャ?(ここはどう?)」 「ランブロチャ(良いよ)」
「デイケア マンパルチャ?(デイケアは好き?)」 「マンパルチャ(好きだよ)」
「キナ マンパルチャ?(どうして好き?)」 「タイムロスフンツァ(ここに居ると時間が過ぎる)」
彼も毎日通って来ている。

静かに座っているだけだが、毎日のプログラムにはしっかりとついて来る。
困難な折り紙の箱作りも彼は完成させたし、 習字の “愛” を全く同じく書いた。
デイケアのプログラムを経験しながらプロビーンは「タイムロスフンツァ」と言う。
これを聞いて、当デイケアを支援できて良かったと思う。

デオケアの使命は通所者の居場所作りであると思っている。
プロビーンがこのことを再認識させてくれた。

9)スタッフではなかった、ジョムナ
ジョムナ 32歳 女性
当初私は信じていた。ジョムナはスタッフだと。

朝の紅茶は必ず彼女が作るし、
昼食の準備や後かたづけには必ず彼女がいる。
フランスで一年美容師の研修をしてきたそうで、メンバーの散髪は彼女がする。
デイケアでのお香作りも手際良くやり、寺で収入を得ている。

デイケアには4年間通っている。
自分の年は絶対に言えないと言い張り、
最後まで彼女の口から聞くことはできなかった。


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