■遙かネパールの薪背負えず (ネパール編:2004年 6月2日〜6月30日)
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今回の訪ネの目的は、ネパールの精神医療を見ることであったが、
村で見たあのハエの群がる掛け物の下にうずくまる青年の姿が忘れられず、
身障者施設の見学を依頼した。
訪れたのはネパール身体障害者協会。
ゲートを入ると広い広い敷地内にいくつもの家屋が点在する。
案内をして頂いたのは学校長のプラジュリ氏。
日本には行った事があると言いながら、にこやかにそして丁寧に説明をして頂く。

最初に案内されたのは療養棟。
木陰で談笑する車椅子の青年達。
日本で見る風景と変わりは無い。
入口に長い木製の車椅子が置いてある部屋に入る。
ベッドに横たわる若い女性。
脇にある大きなラジカセより音楽が流れている。
彼女は自分で起きあがる事も首を動かす事もできない重度の身障者。
常に介護者が付き添っていると。
「写真撮っても良い?」「良いよ」にこやかに笑っていた。
あの山里の青年とはかけ離れたケアがここには存在する。
「時間がきたから行こう」と校長先生。
何の時間かと聞くと、休み時間が終わって子供達がクラスに戻ると。
当協会にはハンデイを持った子供達の学校があり、1クラスから9クラスまである。
彼はそこの学校長だ。
1クラスには4人から10人くらいで、年齢はバラバラである。
能力に応じたクラス編成が成されているようだ。
廊下で松葉杖の教師に出逢った。
学校長は「彼のように障害を持っていても働く人材を育てたい」
と穏やかに笑う。
長い廊下の突き当たり、CBRと言う看板を入る。

CBRとはコミュニテイを基にしたリハビリテーションプログラムの事。
ここでは、サリーを着た美しい女性の説明を聞いた。
「当協会はNGOで運営している。
当施設を利用している障害者の他に、村々では多くの障害者が存在する。
彼らすべてを当施設に入れる事は不可能。
私達のプログラムはコミュニテイと手を取り合って障害者問題を解決することである。
私達職員が地域に出向き、コミュニテイの人達を教育する。
そして、彼らが地域の障害者のケアをする。
そのプログラムは今進行中である。」と。
最後に案内されたのは敷地内にある整形外科病院。
2年前にできたばかり、外来と16床の病棟がある。
病棟では牽引中の患者が横たわっていた。手術室もあった。
すべての見学を終え、学校長のデスクに戻る。
直ぐに、先日ドゥリュッケルの村で見た、2人の青年の名前と住所を見せて、
「この2人の調査はあがってきているか」尋ねたが
「プログラムは進んでいる。
しかし、ネパールにもおびたただしい数の障害者が存在する。
今はまだ障害者は家庭で看るのが一般的だ」
と言って渡したメモを下に置いた。
祈祷師を呼ぶ、精神に病いをもつ娘の母。
精神に病いを持った為、寝室を別にされた妻。
精神薬を飲むという理由で、幼子と共に捨てられた女。
身動きの取れない病いと貧しさの中でいがみ合う父と娘。
ハエの群がる土間にうずくまる身体障害者の青年。
垣間見たネパールの障害者実態の数々。
こうして私はネパールの山々に抱かれた村や街で、
おびただしい数の薪を集めた。
しかし、
私には、それを背負う事は出来ない。
その為には、私の背中はあまりに小さく、力無い。
私にとって釈尊への道は遙か、遙かに遠い。

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