ネパールの精神保健福祉にふれて
精神科医 角谷慶子
この度ABA代表の中山るみ先生と、今回のデイケアセンター設立に大変なご尽力のあった天岡憲子先生に同行させていただき、ネパールの精神保健福祉に触れる機会を得た。
これまで私は自らが精神科リハビリテーションに携わる中、主にアメリカやカナダをモデルとしたシステムや技術を学び、取り入れてきた。
また昨年のデンマークの精神保健福祉研修では、それらと異なった、生というものに対する考えの違いからくるのであろうと思われる精神保健福祉のあり方を学ぶことができた。
これまではいわば精神保健福祉の先進国から学び吸収し、日本に普及することに自らを費やしてきたといえるかもしれない。
しかし一定の年齢に達したころより、私の中では得ることよりも与えることへの関心が強くなってきた。
対外的にも今まで主に欧米に向いていた眼は、アジアやより貧しい国々に向けられることが増えてきた。
そのような私を知ってか知らずか、以前に京都府立医科大学の精神病棟で一緒に働かせていただいたことのある天岡憲子先生からデイケアセンター設立の計画を知らされ、早速に協力を申し出て、今回のネパール行きとなった次第である。
天岡先生は精神科認定看護師でありながら社会福祉士の資格も取得され、広く社会や福祉をみて行動するパワフルな女性である。
若い頃に海外青年協力隊でネパールにいかれて以来、ずっと絆を絶やさずにこられ、それが今回の夢の実現につながった。
30年前貧しい家の少女が彼女とであったことが縁で日本に留学し、ネパールでゲストハウスを経営しながら日本人とネパールの人々との交流に尽力していたことに私はとても感銘を受けた。
ABA代表の中川るみ先生は、今回はじめてお会いしたが、日本社会福祉士会理事という肩書きからは想像しにくい、明るく華やかな笑顔が印象的な先生で、その飾りのないご性格ゆえ、私たちはすぐにうちとけることができた。
9時間のフライトを終え、ネパール空港に降り立つとくだんのゲストハウスのオーナー夫妻が出迎えてくださり、私たちは宿泊先のアンナプルナホテルに向かった。
軽く食事をすますと、隣のカジノはみなかったことにして、私たちは旅の疲れを癒すために早々に休むこととした。

翌日は国営の老人施設であるSocial Welfare Centerを見学させていただいた。
ちょうど昼食の時間で、現地の習慣どおり、タイ米のようなご飯と野菜カレーのようにみえるものを素手で食べている入所者の皆さんは、皆鮮やかな柄の衣服を身につけており、とても人懐こかった。
写真をとってもよいか?と尋ねると、一様に首を横にかしげる仕草をされるので、NOという表現と解釈して当初撮らずにいたが、現地の方に彼の地で首をかしげるのはYESという意味と教えていただき、その後は首をかしげられても写真を撮らせていただいていた。
欧米の場合は当事者は写真を撮られることに神経質だが、ネパールの当事者はおおらかで、写真撮影を拒否されることはほとんどなかったように記憶している。

施設そのものは大変粗末で、入所者は当初は地べた(土間?)に座って食事をしていたが、シンガポールから中古の長いすとテーブルが寄付され、最近になってようやく座って食べることができるようになったとのことだった。
食事も簡素で卵や肉は月1回というが、それでも入所者は食せる喜びに満ちた顔をしていた。ちなみにネパールでは自ら食する力や意欲を失うことはイコール死を意味し、流動食等で生命を維持する老人をみることはなかった。
また居室は電気もない薄暗い大部屋に粗末な木製のベッドが並べられ、互いを仕切るものは薄い布のみであった。ベッドは不足しており、3000円で1つのベッドが購入できると伺い、太っ腹のるみ代表は援助を確約した。
見学の最中にちょうど入居者の2人の女性が、何か物を取り合って、言い争いをしている場面にでくわした。
秩序だってはいるが無表情という、日本でよくみかける施設入居者よりもなんだか人間的で微笑ましかった。
2日目はいよいよデイケアセンターの開所式。現地の役人や海外の支援者等Aasha Deep /Rehabilitation Center
for Mentally illの関係者が多数が出席されるとのことで、私たち3人も現地で購入したサリーを着込み、正装で臨んだ。
皆少し緊張気味であったが、そこは我がるみ代表、少しも動じず爽やかな笑顔で「私たちはいつもあなたのそばにいます」というABAのポリシーともいうべき言葉を挨拶で述べ、皆の喝采を浴びていた。

デイケアセンターはカトマンズの街中にあり、小ぢんまりとしてはいるが、明るく清潔で、菜園などの他、作業を行う部屋やレクリエーションルーム、調理室などがあった。
メンバーは比較的若い人が多い印象を受けた。物資が不足しているために道具等があまりないと聞いていたため、日本からソフトバレーボールを持参し、ほんの短い時間メンバーの方々と一緒に遊んだ。
ボールが手に触れた瞬間、表情がとても明るく楽しそうになるのが印象的だった。またお土産に持参した剣玉を若い男性メンバーが、いきなり2連発成功したのには驚いた。(私は皆にデモンストレーションをしなければという思いから、密かにかなりの練習を積んでいたというのに・・・)

その夜は現地の精神科医やソーシャルワーカーの方々と日本食を食べながら、交流会をもった。
彼の地の医者はインドやイギリスでトレーニングを受けることが多く、同席したPatan Mental Hospitalの医長であるDr. Shresthaもインドの医科大学を卒業したとのことであった。
しかしながらネパールでの待遇が悪いため、海外にいついてしまう医師も多く、彼の話によれば現在ネパールには23人の精神科医しかおらず、PSWにいたっては2人ということであった。

中央: Dr.Shrestha
実際翌日の新聞に、その設立にあったては日本の橋本首相(当時)もご尽力されたというカトマンズ市内の国立小児病院の医師が、国の費用でイギリスに留学しておきながらそのまま戻ってこないということで、国から訴えられた記事がでていた。ちなみに同席していたPSWの方は日本でトレーニングを受けることを希望されていたので、この拙文を読まれた方で彼の希望をかなえてあげられそうな人は、ご連絡いただければありがたい。
翌日は日本やアメリカ合衆国の資金援助で設立され、運営もアメリカの非営利団体がおこなっているというグループホームを訪問した。
ここは国立の老人ホームと違い、ブーゲンビリアの花の咲き乱れる美しく明るい施設だった。ここでは顧問医であるDr. Shresthaの診察にも立ち合わせていただいたが、診察はデイルームでオープンな雰囲気でなされ、気さくで温かい彼の人柄が感じられた。
薬物はクロザピンやリスペリドンを始めとする非定型抗精神病薬が用いられ、欧米のスタンダードな処方がされているという印象を持った。しかし生活支援費と同様、薬剤費も他国の支援でまかなわれ、日本の32条のような公的な扶助制度はないため、そこを退所すれば1週間たつかたたないうちに、路上で再発した状態で発見されるであろうとのことであった。
オフの日はポカラやサンスクリットの丘などのカトマンズ近郊、ヒンズー教や仏教の寺院などを訪ねて歩いた。それらの街や村は確かに貧しく、物乞いの姿や働く子供の姿をよく目にしたが、文明国のスラム街のようなすさんだ印象を受けることはなかった。
むしろ植民地化や大きな内戦がなかった恩恵であろうが、伝統と文化が破壊されることなく活き続け、様々な歴史的建造物とともに人々の生活は宗教とともにあり、高い精神性spiritualityが感じられた。
純朴で温かいネパールの人々と崇高なヒマラヤ山脈の神秘的な姿に触れ、私は自分自身の魂が浄化されていくような感覚を抱いた。

そう、与えるなどと、なんとおこがましいことを私は考えていたのだろう。与えられたのは私の方なのだ。